少し前に話題になった「ジブリ風AI」。いや~、すごい!画像生成AIに写真をアップロードして「この画像をジブリ風にして」と指示を入力すると、スタジオジブリの作品かと見まがう画像が生成されちゃうんだから。
ネットメディアをはじめSNS上では、これは立派な著作権侵害だ!いやセーフだ、といろんな人がいろんな見解を述べていて、ポストがめちゃくちゃ飛び交っていた。そもそも“生き物”ではないAIが描くこと自体、神の領域。歴史上なかったことだから、人類はもう大混乱!
答え合わせをすると、生成するだけなら、著作権侵害には当たらない。AIでジブリ風の画像を生成すること自体は、なんら問題はない。
と、頭ではわかっていはいるんだけど、なんだろう、この違和感……。なにかが引っかかる。私はずっとモヤモヤしていた。
SNSを見渡せば、法的には問題ないにもかかわらず、批判的な意見の人がまあまあいらっしゃって、モヤモヤしていた私自身もどちらかと言えば批判寄り。でも、明確になにがいけなくて心に引っかかっているのか、なかなか言語化できなかった。喉まで出かかっているんだけど、誰だっけあの作品の女優……。彼女の作品は全部観ているくせに、全然名前が出てこない!そんな老化現象のようなモヤモヤ。
だいたいそういうときは、ちょっと時間が経てば、そうだ○○さんだ!と解決する。が、話題はとっくに終わっており、誰に言うともなく、オッサンがただ独り言をしゃべっているだけ、となる。
ジブリ風AIについても時間が経って、ようやく私の中の違和感がだいぶ認知できてきたので、オッサンよろしく独り言を書いてみようと思う。
AIが生んだ絵のモヤモヤ
私や批判的なみなさんの中の違和感ってなんだろう、と考えて、たどり着いたのが、
人が描いたものではない
ここの点なんだと思う。
描いたのが人間だったら、とてもわかりやすくて、日本人の得意な倫理観やマナーでもって、これは似つかわしくない!と判断をしやすいが、ジブリ風は人間が描いたものではない。“AI”というなんだかよくわからない、実体のつかめないものが生成したもの。その絵っていったいどう解釈してとらえればいいの?
この点がモヤモヤの原因と思うのだ。
二次創作の世界

みなさんは「二次創作」というジャンルがあるのをご存じだろうか。
アニメや漫画など、公開された作品を元に、ファンのみなさんが、ファンアートいわゆる二次創作をする、という世界である。
作品を愛するがゆえに、自分自身の世界観でもって描くマイワールド。日本では、イベントで制作物を販売し合ったり、共有し合ったりして、そういった文化の変遷があった。
著作権の側、つまり法的に見ると、ものすごくグレーである。シロかクロか?と問われて、間違いなくシロではない。なんだったらもうアウトに近いかもしれない。
でも、この行為を指を差して非難する声は上がらない。
なぜなら、作品やキャラクターを愛するがゆえ「好きで好きでたまらない!」というファンの気持ちの上で成り立っている世界観だから。また作品を“応援する”という行為の延長だから、作者もうれしい。
さらに言えば、二次創作の作家にさえ、ファンがいる。彼らが創作した二次作品が、ファンの気持ちを代弁していたり、そうなってほしかったの!と原作にないストーリーに萌え、わかるわかる!という共感の気持ちで夢中になっている。
共通して言えるのは、彼らは、オリジナル作家へ尊敬の念が尽きることなく、リスペクトをしてやまない、ということだ。
オリジナル作家に迷惑をかけてはいけない、という恐れ多い気持ちから、二次創作物の物販ではできるだけ利益を乗せない、という暗黙の了解ごともあるくらいだ。それぐらい、敬意がある。
余談であるが、このようなファン(オタク)のみなさんは、ひと昔前では、世間に知られることなくひっそりと日陰暮らしを余儀なくされてきた。現代ではオタクは「文化」に格上げされ、堂々と「推し活」ができるようになった。自分の好きなものを大きな声で「大好きだーー!」と言える世の中になって、ほんとによかったなぁ、と思う。
“好き”のかたちの違い
ここでAIに話を戻してみる。
さて、AIには、オリジナル作家へ対してのリスペクトはあるのだろうか?
「リスペクトもなにもAIは人間ではないだろ」と反論の声に、ごもっとも!としか言いようがない。
つまり、リスペクトは“ない”のである。
リスペクトのないやつが、ドヤ顔で描いたジブリ風って、え?なにそれ?となっているのが今ではないかと思っている。おそらく生粋のジブリファンは共感しないだろう。
実はもうひとつモヤモヤがある。
「アップロードした画像が、ジブリになったーーー!」と、いろんな画像をAIに描かせている世間界隈のみなさんは、おそらく、ジブリ作品が好きで好きでたまらない!という気持ちのカテゴリーが違うのでは?という気がしている。
好きでたまらなくて「手を動かして」描いたもの(二次創作物)と、プロンプトをチャチャッと書いたり、アプリを使ってサクッと生成させたもの(AIに指示しただけ)……。
同じ「好き」でも種類が違う気がするのだ。
「法的には問題ないでしょ」「ようはスタジオジブリの許諾をとっているかどうかだよね」と法的に語る意見があることも知っているが、論点はそこではないのだと思う。
人が創作する芸術とは
なんにもないまっさらなところから、この世に産み出したものである創作物とは、すなわち芸術である。
アニメやマンガ、絵はもちろん、映画、写真、アート、文学。歌や曲もそうだ。
作品に触れた人に感動を与えられるなんて、すごいことだし、ましてや、誰もが作れるものでもない。作品に出会ったことにより、心の琴線に触れ救われた人もいる。気持ちが前向きになったり、人生が変わった!という人もいる。このような芸術と交わった経験が、誰しも、人生のどこかであるんじゃないだろうか。
芸術のチカラは本当にすごいと思う。
AIが生んだアートと、人の“心”が生んだアート
AIが描くジブリには「尊敬」もなければ、リスペクトもない。ただの「再現」寄りの創作のようにも思える。
法制化はもちろん大事。生成AIはこの世に出たばかり、これから議論が深まるだろう。だけど、私たちはそういう視点ばかりに気をとられてはいけない。
そこに、オリジナル作家や作品へ尊敬の念はあるか?
この前提を絶対に置いてけぼりにしてはいけない、と思うのだ。
(やっと私のモヤモヤを言語化できた。やった)


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