私の娘は小学1年生。毎朝学校まで連れていって見送っています。すると、
「おはようございま~す!おはようございま~す!」
上級生のお兄さんお姉さんが並んであいさつ運動です。通路の両サイドに並ぶから、真ん中を登校する生徒たちはなんだか送別会の主役みたい。
そしてそれを見た引っ込み思案の娘「うげ!あそこ、とおりたくない」
あの間を通るのはなかなかしんどいなぁ……私もいやだなぁ。
そこでふと思いました。
なぜ、大人は子どもにあいさつをさせるのだろう?
子どもにとってのあいさつとは?
そして大人にとってのあいさつとは?
疑問に思っていろいろ考えてみたので、掘り下げて書いてみたいと思います。
ちなみに冒頭のあいさつ運動。当初10人くらいでやっていたのが、日に日に増えていって先日見たら30人を超えていました。「おはようございま~す!」の大合唱。娘の「うげ!またふえた~」とともに、校門を避けて、裏口からそっと登校しています。
子どもにとってのあいさつとは
「ほら、ちゃんとごあいさつしなさい」
お父さんお母さんが、お子さんによく言っていますね。「こんにちは」と言える子もいるけど、たいがいの子は小さな声で隠れながら言ったり言わないことが多いのではないでしょうか。なかには、親がやっきになって「ほら!しなさい」と頭を下げるまでやらせようとして、「あぁ、いいですよ~、恥ずかしいもんねぇ」となぜかこっちがフォローすることもよくあります。
なぜ、大人は子どもにあいさつをさせるのでしょうか?
ある教師はこう言いました。
あいさつができる子は「良い子」
「げんきよくあいさつをしよう」だの「あいさつができる子になろう」だの、私自身、ものごころがつくと、学校で知らない間に刷り込まれてきました。いったい誰が決めたのだか、あいさつができる子は「良い子」だ、という。
ほんとに?
ある年配者は、あいさつは礼儀だと言いました。
ん?誰に対しての礼儀?こんな小さな子どもが尽くす礼節などあるのか?
ある親は、あいさつはしつけだと言いました。
本屋の一角には、子どもが自分からあいさつできるようにするアドバイス、あいさつができる子どもの育て方、なる育児書がうず高く積まれていて、ちゃんとしつけねば、と親が買うのでしょうか、よく売れているようです。
良い子。礼儀。しつけ。
あいさつをさせる最大の理由がこれ?ほんとにほんと?
う~ん。なんかナットクがいかないような……。
私が思うに、これらは全部間違った思い込みだと思うんですよねぇ。明確な理由があるようでないようで、だけどしないといけない。昭和の遺産カテゴリーに入っているような。
子ども同士のあいさつ
そもそも、子ども同士が腰を折って、おはようございます、と言い合う光景、そんな小学生は見たことがありません。だいたいが、オッス!、とか、やっほ!、と交わしています。子どもたちにとっては、仲良くなって自然と交わす言葉や動作の延長があいさつです。
しつけや礼儀といった類のあいさつは、元々子どもの世界にはないもの。ものごころがついたら、大人が刷り込んでいった、ということがわかりますね。
では、なぜ、いろいろ理由をつけてまで、大人は子どもにあいさつをするよう刷り込んでいくのでしょうか?
その答えは、
大人になったとき「良い社会人」として評価されるから
もっと正確に書くと、
あいさつができる人は「良い社会人」として評価される世の中だ、と思い込んでいるから
ではないでしょうか。
大人にとってのあいさつとは
ここからは大人のあいさつについて。みなさん、近所や職場など、あらゆる場面であいさつをしますね。ここで思い返してみてください。
なぜ、まわりの人たちに、あいさつをするのですか?別に、笑顔を作って愛想ふりまいてまでしなくてもいいっしょ?
私が思うに、あいさつをすることは、
自分のことをまわりの人から良く思ってもらえる術
だからではないか、と思っています。
たとえば、職場。上司や先輩に大きな声で笑顔であいさつをすれば人事評価は高くなり、反面、あいさつができないだけで「あいつはあいさつもまともにできない!」となぜか本人の能力まで低いように言われます。ちなみに、仕事の能力とあいさつは比例しませんけども。
子どものころ「良い子」の指針だったあいさつ。驚くことに、社会に出ると「良い社会人」の指針に変わってくるのです。特に職場での評価の高低差は大きい。
なんとなく見えてきました。
子どもにあいさつをさせるのは、社会に出たときうまく立ち回れるようになってほしい、という親の願いと教師のエゴでてきているのでは……。
あいさつができる子は「良い人」になった?
では、あいさつができるようになった子は「良い人」になったのでしょうか。
先日テレビで事件のコメントを求められた現場近くに住む人が答えていました。
「あいさつもして普通の青年だと思っていたのに……まさかあの人が殺人なんて!」
なんと殺人犯はあいさつをしていました……。ちょっとこの例は極端でしたね、ごめんなさい。
でも、私の過去にもどうしようもなくひどい性格のひん曲がった人がいましたが、あいさつはにこやかでした。
約束は守れないわ、まわりを振り回すわ、まったく信頼に欠ける人がいましたが、あいさつはにこやかでした。
仕事はすぐサボるし、お客からはクレームが絶えない営業マンがいましたが、あいさつはにこやかでした。チーッス!
あいさつができるからといって、その人が立派な人とはかぎらないのです。まったく別の話。
あいさつは礼儀?
社長を見かけると、社員はあわてて立ち上がって腰を曲げてあいさつをします。それに対し、社長は手を軽く上げて応えるだけ。
もしあいさつが礼儀だとするならば、社長はひとりひとりに頭を下げてあいさつをするはず。
社員にとっても、立場の上の人からの自分の評価を上げる、もしくは良く思われたい、を目的とした行動であって、決して礼儀が主ではありません。
あいさつには2種類ある
あいさつには2種類あるのではと思っています。親しみのコミュニケーションと、もうひとつは自分の社会的評価を上げるためです。
仲良くなって自然と交わす言葉や動作の延長が「親しみのコミュニケーション」、自分のことをまわりの人から良く思ってもらえる術が「自分の社会的評価を上げるため」です。
冒頭のあいさつ運動にかぎって言えば、どちらにも当てはまりません。おはようございま~す!、の連呼には親しみもなければ、ましてや小学生は社会的評価を上げる必要がありません。
でもね、実は得をする人がいます。そう!校長です。他校や教育委員会の関係者から、あの学校はすばらしい、と校長自身の評価を上げてもらうためです!そして、校長の自己満足です。
想像してみてください。不登校・非登校の子どもはあの間を通れますか?いやはや最悪です。
あいさつなんてできなくても大丈夫
あいさつができる子が「良い子」になるわけでもないし、礼儀でもしつけでもありません。社会に出たときうまく立ち回れるようになってほしい、という親の願いはわからなくもありませんが、小学生の今、必死にさせたとしても将来実を結ぶものでもありません。
私たち親も、思い込みにとらわれずちょっと立ち止まって考えてみたいですね。
そして、あいさつをしなさい、とずっと言われ続けている子どもたち。(なぜ好きでもない人に形式的なあいさつをしなければいけないのだろう……)(僕、苦手なんだけど、それでもがんばってしないといけないのかな……)とモヤモヤしている人もいると思う。少なくとも、私の娘は、学校や祖父母からあいさつをしろ、と半ば強要されることが、なぜなのかわからない、と感じていたようです。
子どもたちにはこう言いたい。
あいさつなんてものは、ちゃんとできなくても大丈夫
今や、人から良く思われたり社会的評価を上げないと生きていけないような時代ではありません。君の友だちや親しい人、大好きな人とのコミュニケーションだけで十分だよ。
と。
もっと言えば、ただの昭和の呪いですから。