※益虫を「えきむし」害虫を「がいむし」と読んでいますが、AIということでご了承ください。
「わー!虫が入ってきた!」
授業中にどこからか虫が迷い込んできて、教室は大騒ぎ!
虫をこよなく愛する娘(小3)は必死に「ころさないで!」と叫ぶも、パニックになったクラスメイトたちの悲鳴にかき消され、その声は届かない。
そのうち先生の手によってティッシュでつぶされてしまった。
悲しくて悲しくて涙が止まらず、大泣きをしたのだそう。
虫が入ってきたのは、道徳の時間。皮肉にも生き物の命についての授業だった。
「命をたいせつに、と言ってるそばから、ころすんじゃけえ……」
娘は、家に帰ってきてからもずっと憤慨していた。
虫をこわがる子、愛する子

最近は虫が苦手な子どもが多いように感じる。娘の友だちでも男女問わず、手で触れることができない子がけっこういる。娘と私がクモやバッタ、ミミズやヤスデを手にとって愛でていると「すご!さわれるん!?」とけっこう驚かれる。
小3で初めてカマキリを触った、という少年もいた。マジ?これまで捕まえたことなかったの!?少年時代に野山を駆け回ってきた昭和の生き残りである我々とは時代が違うのか。
虫を排除する社会
なぜこんなに虫が苦手な子どもが増えたんだろう。
その要因に、ある新聞記事では「都市化」が原因と書いてあった。家の周りに山や林が少ない都市部では、そもそも虫を見かける機会が少ないだろうから、いたしかたないのかもしれない。
それともうひとつ、周りの大人たちが原因ともあった。虫を見て大騒ぎをする親、気持ち悪い!と見た目だけで嫌悪する大人。それを見て育った子どもはもれなく虫嫌いになるのだという。
これは心当たりがある!私の親戚の女性や友人に超虫が嫌い!という人がいて、子どもは母親に合わせるように「ここに虫がいる~!」「わ~虫がきたよぉ」と一緒になってこわがっている。お、親の影響は大きい……!
虫のことを知る前からこわい
虫が嫌いな人は、正直しょうがないと思う。誰にだって苦手なものはある。
でも私が懸念するのは、その子どもたちのことだ。
子どもは生まれつき虫が嫌いなわけではない。幼いころは目に映るものなんでも興味津々、なんでも触る触る……!もれなく最後には口に持っていくので、親は大変。虫も例外ではない。それがなぜ途中から嫌いになっていくのか。そう、親の影響である。
虫のことをよく知る前から、母親が嫌いだから、見た目がこわいから、と勝手なイメージだけで嫌悪するようになってゆくのだ。
クモを踏みつぶす
あるとき、こんなことがあった。
キッズクラブに娘を迎えに行き、出てくるのを待っているとき、わりと大きめのクモがコンクリートをはっていた。
娘は特にクモが大好き。(教えてあげたら喜ぶぞぉ)と見守っていたら、低学年の女の子が先に見つけた。「あ!クモだ」
(おーめずらしいなぁ。たいていの子どもは恐れるのに、この子はクモは大丈夫なのかな)と思った瞬間!
女の子は躊躇せず靴で踏みつぶしてしまったのだ……!
あまりの一瞬のことに啞然とする私。足を外した先には無残にもぺっちゃんこになって息絶えたクモが……。
さらに驚くことが続く。
「おかあさ~ん、クモをころしたよ」と自分の母親に報告をする女の子。それを受けた母親は「あらそう」とチラッと横目で見ただけで、なにごともなかったようにふたりは帰っていった。
(殺す必要があった?クモはなにもしていないのに……)
(いつもこのように躊躇なく踏みつぶしているのだろうか?)
(母親はそれを見てなぜなにも言わないのだ?)
(子に命の大切さを教えるのは親の役目ではないのだろうか?)
私の中で言いようのない気持ちがグルグル回った……。
無知から始まること
虫は大きく分けて2種類ある。害虫と益虫である。害虫とは、衛生的に被害を与える虫、ハエや蚊、ゴキブリ、ダニなどがある。農作物に被害を与える虫もそうだ。益虫とは 、害虫を捕食したり、植物の受粉を助けたり、土壌を改良したりと人間の生活に貢献してくれている。
昔から、日本人は害虫か益虫かで判断して、虫とともに暮らしてきた。
ただ、昨今の虫嫌いは、完全に「見た目」判断であることが多い。
虫を人に置き換えたら、どうだろう……。完全に差別である。
将来、人間に対しても同じように「見た目」で決めつける大人になりはしないだろうか。おおげさな、と思われるかもしれないが、私は、昨今の「虫嫌い」が与える社会への影響は、とてつもなく大きいのではと思えてならない。
私は虫嫌いを直せ、とは少しも思っていない。相手を知らないのなら、まずよく知る努力をしてみては、と思っている。
前述したが益虫は人間の生活には欠かせない。調べれば調べるほど、大切さがわかってくる。さらに言えば、現代のテクノロジーは虫から得た知見が多い。昆虫の目や動きなどから、カメラのレンズや産業用ロボットが開発されたことなど、挙げればキリがない。悲しくも踏みつぶされたクモももちろんそうだ。その糸からは繊維をはじめさまざまなテクノロジー技術に応用されている。
虫を嫌う心が、誰かを排除する心にならないか
知識や情報が不足している状態だと、人間は、自分たちとは相容れないものを理解できず、いとも簡単に嫌悪する。そして、みんな嫌いだから、と周囲の人たちに迎合し思考停止に陥る。
無知がゆえに安易に排除する。
虫とテクノロジー技術の関係を少しでも知っていさえすれば、それほどまで嫌悪はしないと思うんだ。すぐ踏みつぶす人には、ちょっと待って!と言って、いちから説明をしたい……!

コロナ騒動を思い出してほしい。いろんな大人が、自分たちさえよければいい、大衆にそぐわないから、という理由でマイノリティーな人たちを追い出したのを私はさんざん目の当たりにしてきた。
虫の排除の延長に、外国人や身体に障害を持っている人たち、さらに性的マイノリティの人たちなど、自分とは違う、という「見た目」で深層的に差別する大人になってはいかないだろうか。
今の子どもたちが大人になったときを、私は勝手に心配している。けっしておおげさな考えとは思わないんだけど、みなさんはどのように思うだろうか……?
「生き物の命を大切に」という言葉は、道徳で習う云々ではなく、社会における生き方につながるのではないかと思っている。
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